北斎 生誕250年記念

今日の昼間、日本テレビで『葛飾北斎 生誕250年記念』番組をやってました。
…いやあ、鮮やかでしたね。

葛飾北斎と言えば、「冨嶽三十六景」で知られる江戸後期の浮世絵師です。
始めて「名所絵」と呼ばれる風景画を芸術に高めた絵師で、彼の絵はヨーロッパに伝わり、印象派など多くの画家に影響を与えました。

「過去千年で世界に影響を与えた偉人」の中に日本人として唯一選ばれているそうです。(基準がわからん…)


北斎の「冨嶽三十六景」は晩年の作品群のひとつで、合成顔料のベロ藍と呼ばれるものを使っているだけでなく、透視遠近法や陰影など多くの西洋画の影響が見られます。
「三十六景」と言いながら48枚あるだけでなく、莫大な枚数の絵を残しています。
しかし、過労死するでもなく90歳過ぎまで生きた北斎を支えたのは三女の「お栄」でした。

お栄は北斎門下で北斎の技術を受け継ぎ、「葛飾應為」の画号を持つ絵師でした。
一度仲間の絵師と結婚しますが、離婚して父親の許で絵を描いて生活していました。
彼女は僅かしか残っていない肉筆画からも分かる通り、とんでもない技術と才能を持った女絵師でした。

家事は全く出来ず、食事は全部出来合いのもので絵だけを描いて暮らしていた様子は今の売れっ子マンガ家のようだったとは、ナビゲーターの荒俣宏氏の言葉ですが、ピタリと当てはまります。
しかし、これだけ上手い絵師の絵がいかにも少ないのです。

それは、当時まだ女の絵師というものが認められなかったのと、「北斎」ブランドの方が通りが良く、高く買われたせいでしょう。
つまり、二人の共作は全て北斎のものとなったのでした。

しかし、彼女が可哀想だったかというとそうは思いません。
明治になって、女性への締め付けはきつくなる一方で、武士でもないクセにボンクラでもなんでも家長を重んじるように強要されます。
(ここらへん、番組ではすごいウソを言っていた)
こののち、女性が絵描きとして自立するには「上村松園」の登場まで待たなくてはならないからです。

私は正直、上村松園以上の女性画家は存在しなかったのだと思っていましたが、この葛飾應為は抜群に上手いです。
何しろ應為作品鑑定の決め手が「筆致の美しさ」と言うのですから。
濃淡の着色も北斎よりも應為が上と言われています。


北斎は晩年、シーボルトの為に浮世絵を描いています。
その時に、遠近法や陰影法を学んだようで、こののちに傑作「冨嶽三十六景」が誕生します。
應為もその技法を学び、今彼女の銘が残る絵には光と影のまばゆいコントラストが見られます。

さて、應為ことお栄は北斎の大往生と共に姿を消します。
どこかで絵を描いていたのか、何の手掛かりも残っていません。
偉大な父を失って、抜け殻になってしまったのか、北斎ブランドなしに描き続けられなかったのか…。

ただ、彼女は本当に父親・北斎の絵を愛していたのは間違いないでしょう。


この番組でよく分かるのは、北斎が多くの画家に影響を与えることが出来たのは、北斎自身が西洋絵画を吸収し、昇華させた結果であったということです。

ただ今、原宿の「太田記念浮世絵美術館」の30周年記念展で葛飾應為の肉筆画も展示されています。
北斎とともに生きた女絵師の人生に思いをはせてはいかがでしょう。
(~2/24まで)

何気なく見た番組でしたが、クオリティも高くて面白かったです。
荒俣さんは色々知ってるなあ…。