2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

トラキアの黄金

29日から始まった『よみがえる黄金文明展~ブルガリアに眠る古代トラキアの秘宝~』を 見て来ました。 ブルガリアはバルカン半島を位置し、古代において「トラキア」と呼ばれ、 ギリシア神話にも度々登場しまします。 騎馬民族である彼らは馬にまつわる神…

南北朝時代の皇子たち―15

真相は明らかでありません。 天皇親政を理念に掲げた南朝が幼帝でいいのか?という疑問は残りますが、 後村上天皇は譲位を口にしたのだと私は思います。 京を目前に撤退した無念はいかばかりであったでしょう。 それにも増して実際の軍を統括する総大将の必…

南北朝時代の皇子たち―14

楠木正行の戦死、賀名生への没落を若き(ちょうど二十歳)天皇はどのように受け止めたのでしょうか。 先に挙げた宗良親王との歌のやり取りで察するしかありません。 歳の近い正行の討ち死は衝撃であったばかりでなく、北畠親房に対する拭いようのない不信感…

南北朝時代の皇子たち―13

私は後醍醐天皇という人を考えるとき、まず皇子たちの悲劇を思わずにはいられません。 特に初めて読んだ本が鮮烈で、護良親王を死に追い遣った冷たい父親の印象しかなかったのですが、 最近読み直して少し印象が変わりました。 天皇が権威そのものになって四…

天地人

しまった。12時過ぎてしまった。 大河ドラマ始まりました。 大河は、よっぽどキライなキャスト&歴史人物じゃない限り観ています。 1&2回は子供の役者ががんばっていて、ハマった母は毎回泣いてましたが、ブッキーになった途端 あんまり興味なくなった…

南北朝時代の皇子たち―12

北畠顕家卿の死は南朝に衝撃を与えただけでなく、深刻な損害を及ぼしました。 顕家たちが尊氏を多々良浜の戦で打ち破った後、後醍醐天皇はもうひとつの手をうちました。 すなわち、尊良親王と恒良親王を新田義貞に預けて北陸を平定させるというものでした。 …

南北朝時代の皇子たち―11

護良親王の話が長くなってしまった…。 そして、また0時まわってしまったよ…。 さて、「中先代の乱」が鎮圧されますと、後醍醐天皇に赦しを得ようとする尊氏を直義たちが必死に止めて鎌倉に居座ります。 そこで後醍醐天皇は新田義貞に大軍を与え、討伐に向か…

南北朝時代の皇子たち―10

後醍醐が隠岐に流されている間、親王たちとの連絡はとれていなかったろうと思われます。 その為に護良親王は自らの令旨によって、武士や寺社を誘い込んでいきました。 護良親王の最も早い令旨が熊野山にもたらされたことからもそれは解ります。 武士たちにも…

源氏物語手鑑

今日は和泉市久保惣記念美術館に『源氏物語―土佐光吉と浮世絵による源氏絵―』展(期間常設)を 見に行ってきました。 前々から行きたかったのに、この時期サッカーがないので行けずにいたんですが、 今回大阪にたまたま用事があったのを幸いに寄ることが出来…

南北朝時代の皇子たち―9

さて、最後に触れるのは義良親王です。 皇子はのちに後醍醐天皇の跡を継いで南朝二代目の天皇となります。 義良親王のことを語るにはまず、その生母・阿野廉子のことから語らなくてはなりません。 阿野廉子は後醍醐天皇の中宮・西園寺禧子に仕えていたものを…

小説・足利尊氏

『南北朝時代の皇子たち』はちょっとお休みして、今日は本を紹介します。 いらっしゃらないとは思いますが、今までの文を読んで、 「南北朝時代のことをもっと識りたいな~」、と思った方にお勧めしたいとっておきの一冊です。 杉本苑子著『風の群像』。 杉…

南北朝時代の皇子たち―8

四条畷の戦で大勝利をおさめた高師直が吉野まで攻め入ったことは前回書きました。 その勝利で勢いづいた高師直は尊氏の弟の足利直義と対立するようになります。 その対立で高師直たちが尊氏邸に逃げ込んだ直義を取り囲むという事態になり、 直義は鎌倉にいた…

南北朝時代の皇子たち―7

後醍醐天皇の崩御は多くの人へ衝撃を与えました。 京都にいた公家たちは俄かに信じ難かったようで、中院通冬はその日記に 「信用するに足らず」と書いています。 通冬は後に後醍醐天皇の死が確実であると分かってからは、こうも書いています。 「公家の衰微…

選手権

広島皆実が優勝しました。 多彩なパス回しと、共通理解を持った攻撃と守備。 サンフレッチェのある町なんだな…と感じさせられるチームでした。 身近にいいサッカーをするチームがあるということは大事なことです。 試合中継だけじゃ分からないチーム創りの段…

南北朝時代の皇子たち―6

元弘三年、「元弘の乱」が治まって尊澄は帰京します。 そしてすぐに天台座主に戻りました。 還俗した護良親王が皇位への野心を疑われたわけですから、賢明な判断なのでしょう。 穏やかな日々とは参りませんが、尊澄は仏法修業に励んだようです。 今の感覚だ…

南北朝時代の皇子たち―5

尊良親王編、途中で切ればよかった。 久々、猛勉強してしまったよ…。 とりあえず、つづきから。 尊良親王の自害により、宗良親王は全ての兄宮を失いました。 当然、親王の役割は格段に重くなります。 宗良親王は尊良親王と同じく、二条為世の女・為子を母と…

南北朝時代の皇子たち―4

600人突破ありがとうございます。 年賀状を見て来てくれた友人たちもありがとう。 記念になるよう、がんばって書きます。 尊良親王は歌道の大御所・二条為世の女・為子を母として後醍醐天皇(当時は尊冶親王)の一宮として生まれました。 歌人としての資質は…

南北朝時代の皇子たち―3

昨日中にアップしたかった…。 すみません。 護良親王には二人の兄がいたと言われています。 一宮と呼ばれる尊良親王と、二宮世良親王です。 一宮尊良親王の生母は歌道界の大御所、権大納言二条為世の女為子で、 乳父は後醍醐天皇の寵臣吉田定房でした。 二宮…

あけましておめでとうございます!!

今年もよろしくお願いします。 30日、31日にあったTBSの『源氏物語』面白かったですね~。 久々見たら失念してたこと結構ありました。 紫式部出てたんですね~…。 別にあの場面いらなかった気がするんだけど…。 でも、大人になって気づいたことは、片岡仁左…