『源氏物語、<あこがれ>の輝き』①

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本日紹介するのは、ノーマ・フィールドの『源氏物語、<あこがれ>の輝き』です。
本書は『天皇の逝く国で』の著者であるノーマ・フィールドが20年も前に纏めたものを「源氏物語千年紀」に当たって翻訳されたもの(2008年)です。

源氏物語』は主人公の光源氏が亡き母の面影を追って、父の后である藤壺女御に懸想し、その藤壺の面影を追って女性遍歴を繰り広げる物語です。
それを、〈あこがれ〉というキーワードで解きほぐしたのがこの本です。

何人かのヒロインをピックアップしていますが、中でも面白いのは六条の御息所に対する見解です。
昔々の論調では怖い鬼ババのような扱いの彼女でしたが、近年になって物思いの多い女として同調する人も多くなり、ちょっとした人気キャラになりました。

私も六条の御息所は好きな登場人物のひとりです。

わが身こそあらぬさまなれそれながら そらおぼれする君はきみなり

霊魂となった御息所が光源氏に詠みかけるこの歌が『源氏物語』の中で小学生の頃から私がそらで言える唯一の歌となっています。

しかし、六条の御息所を掘り下げた論文でも悪鬼となり果てた彼女について語ることはありません。
ノーマ・フィールドは霊魂と信仰についても十分な考察を設けて目を逸らすことなく御息所の怨霊と向き合っています。

御息所は光源氏の舅の大臣たちの前の世代の大臣の女として、桐壺帝の皇太弟に輿入れしました。
中宮となり国母となることを期待された彼女はそれに見合う教養と美貌を備えていました。
しかし夫の廃太子薨去という不幸に見舞われ、彼女の夢は潰えます。

その痛みと生きた御息所は光源氏との恋の中で不幸のうちに亡くなります。
彼女の遺した子(前斎宮)が秋好と呼ばれ、藤壺の一子・令泉帝の中宮となります。
そう、御息所は藤壺女御(中宮)の合わせ鏡として存在したのです。


藤壺も彼女も死しても霊魂として登場しますが、決して勝手に出てくるのでなくて、光源氏の語りにより導き出されるのです。

続きます。