『シュガーベビー』つづき

『シュガーベビー』で言い足りなかったこと。

大人になって読み直して、作者自身が神話世界を再構築したことが理解するようになって、このマンガを
読む目も大分変わりました。
「指環物語」や「ハリーポッター」と同じようにして創られたのですが、天界の様子はかなり違う様相を
示しています。

神々も天使も天に属するものが実に無欲です。
彼らはあくまで全ての人間を慈しみ、人間が己の力で心の中の神の存在に気付くように手助けをするのです。

そんな神々にも増して神々しい存在なのが、二人の男性です。
一人は主人公・シュガーの父親である”J”と呼ばれる「パパさん」です。
(私は随分長い間、この言い回しについていけなかった…)

もうひとりが近所に住むシュガーよりちょっと年上(?)の少年です。

二人とも幼いときに父親を亡くし、立派な母親によって育てられました。
父親への思慕という痛みを抱えながらも、二人は恐ろしい程の慈愛を持っています。
そして、この二人は善意でしか行動しないのです。

特に大人になって読み返し、「パパさん」(…)の行動の全部が他者への愛を発端としていることに驚かされたのです。
そしてそれがひとつも骨が折れることだとは考えられないのです。

アーモンドに至ると、純粋な分だけ奉仕の精神は更にエスカレートしていきます。

彼らこそが天界のものであるかのように。
「パパさん」の行く末は分かりませんが、「源氏読み」のように「反復とずらし」から考えるなら
きっと彼らの父親のように早くに神に召されたことでしょう。